2016年8月17日 (水)

六百山

◆ シーズン中は観光客で常に賑わう上高地・河童橋。その南東方向にある「裏山」が、六百山である。高さは2400mながら、頭上高くそびえる急峻な山容、中畠沢の深い切れ込みもみごとである。

Roppyakusan
岳沢湿原からの六百山

◆ 梓川左岸の霞沢岳や六百山が、なぜか幼少の頃から好きで、温泉ホテルや岳沢湿原からもほれぼれと眺めていた。近くに穂高があるのに、と自分でも思う。はっきりした訳は自分でももう分からない。ただ、これらの山々には整備された登山道がない、というのが、惹かれた理由の一つだったように思える。

◆ 八月上旬、今年も家族で上高地を訪ねた。我が家では、10年来の恒例避暑旅行だが、近年、ややマンネリ化を感じていた。しかし急に気づいた。もう、娘も息子も、六百山に登れるだろう!思い立ったら吉日だ。

◆ アタック前日は、ひょうたん池往復で足慣らし。サンショウウオの幼生やアサギマダラの乱舞などに遭遇。

Asagimadara

◆ 翌日、六百山アタック。
 トイレの右手から適当に藪漕ぎで登り出す(男子便所の脇から入るのが正解と下山時に判明した)。中畠沢のガラ場をこなして、途中から右手の樹林帯へ入る。稜線に出て、高度感のある岩稜を過ぎ、最後はハイマツを漕いで山頂。天気が良く、展望が素晴らしい。
 下りには、登りと同じくらい時間がかかった。

Yamaiguchi
カバノキの菌根菌、ヤマイグチ

2ganryou
山頂下の岩稜

Hodaka_2
六百山頂。

◆ 踏跡と赤布があるが、変化に富んだ面白いコースだった。人とは一人も会わず。
 毎度、親父のわがままと気まぐれな思いつきに付き合って、それなりに楽しんでくれる娘と息子に感謝。

2016年7月29日 (金)

立山カルデラ砂防館

■ 2016年7月訪問。平成10(1998)年開館。学芸員は現在6人(文系は1人、雪氷関係が2人)。

Photo

○ エントランスにピンポン球雪崩実験装置がある。訪問時、小学生の団体相手に飯田肇さん(学芸課長・雪氷学の大家)が実演されているのを見学できた。社会教育の施設である以上、当然なのだろうが、やはり大変だ。



■ 1階で企画展示の「立山の文化財」。
立山カルデラ内の「新湯」の水位変動(間欠泉的な性格)。そこで生成される玉滴石(ぎょくてきせき、オパールの一種)は美しい。

■ 2階がメインの展示室、「立山カルデラ展示室」と「SABO展示室」

○ 立山カルデラと周辺の自然、常願寺川の水害と治水、明治期の立山温泉、立山カルデラ=常願寺川上流の砂防、など

○ 「立山登山案内図」は多数展示があり、「立山曼荼羅」と比べると興味深い。第5回企画展の図録『立山登山案内図と立山カルデラ』(2000年)

○ 「大地震非常変損之図(下流部/上流部)」
P1010175

安政5(1858)年の飛越地震によって「越中立山大鳶崩れ」(立山カルデラの一部の崩壊)が発生、それに伴って引き起こされた「山突浪・泥洪水」で、常願寺川平野部では大きな被害を被った。開館企画展の図録がある(『越中立山大鳶崩れ』1998年発行)。

○ 明治24(1891)年の大洪水被害、デ・レーケと高田雪太郎らによる常願寺川大改修。

○ SABO展示室では、立山カルデラの近代以降の砂防工事の歴史。要となる「白石砂防ダム(カルデラ出口付近、1939年完成)」について詳しい。

■ 立山カルデラ砂防館 URL:http://www.tatecal.or.jp/tatecal/index.html

2016年7月23日 (土)

森を食べる

○ 「森を食べる」植物

 ハッとする題名の本に出会った。塚谷裕一『森を食べる植物』(岩波書店,2016)。

 「緑の葉を持たず、光合成をしない代わりに、カビやキノコを食べて暮らす植物」がいる。一般的に「腐生植物」と呼ばれ、ギンリョウソウが代表格である。ランの仲間の多くも、光合成をしつつも「根においてカビやキノコから栄養をとっている。」著者は、こどもの頃から、こうした腐生植物が大好きだったそうだ。
 腐生植物は、生きた菌糸を食べて暮らす。だから死んだ生物の体を分解して暮らす生き方を示す「腐生」という表現は、これらの植物の特色を正しく表してはいない。「菌寄生植物」あるいは「菌従属栄養植物」という名称に改めよう、という動きも活発だという。

 本書掲載の写真は、どれも美しい。

「腐生植物が栄養源としている菌類の、その栄養源はといえば、それは森を構成する動植物、とくに植物である。ということは腐生植物は本書の冒頭で述べたとおり、間接的に森を食べている植物ということになる。」
「腐生植物が豊富に見られるような、安定した、人の手のほとんど入っていない豊かな森では、林床はすっきりとしていて清潔感があり、下草もほとんど生えておらず、遠くまで見渡すことができる。地面はうっすらと落ち葉で覆われていて、その落ち葉のところどころからきのこが生えることもあるが、密生はしない。そんな中に、魅惑的な腐生植物が顔を覗かせているのである。」
「森を食べて花を咲かせる腐生植物は、森の結晶とも言えるだろう。」
「こんな奇妙な植物に、興味を持たない方が難しいというものだ。」

 <腐生植物が魅力的なのは、誰にでも自明でしょう>といわんばかり。著者の愛情がにじみ出ている文章、有無を言わさぬ断言口調、うなずかざるを得ない。

Ginryousou
ギンリョウソウ 2016/07 赤城山


○ 森を食べる「ひとびと」もいる。

 ジョルジュ・コンドミナス『森を食べる人々』(1957/橋本和也 青木寿江訳,紀伊國屋書店,1993)。

 本書は、ベトナム先住民の民族誌だ。原題(Nous avons mangé la forêt)は、「その(石の精霊ゴオの)森を我々が食べた(年)」というような意味合い。「(その)年」とは、著者のコンドミナスが、ヴェトナムでムノング・ガル部族のサル・ルク村で調査を行った1948年11月末から1949年12月初めまでの農業年度をさす。

 ヴェトナムの高地を生活の場所としている焼畑農民は、毎年一定の広さの森を伐採・焼き払って、森の耕地とする生活をしてきた。彼らの使う「我々は・・・という森を食べた」という表現は、よって特定の年月を示しているという。農作業と一年を一つのまとまった単位として考えているので、一年が「一年」でなくても支障は無い。

(『森を食べる人々』の複雑な意義は、著者のコンドミナス自身が、「序」と「日本語版への序文」で要約している。特に後者では、ベトナム戦争とその後の国家統一および国民統合政策を通し、結果としてこの著作が持つに至った意味について、控えめに語られている。)


○ 「森を食べる」とは?

 森は直接食べることが難しい対象だ。ゆえに「森を食べる」という言い方は、気付きにくい関係性を意識させてくれる表現だと思う。「我々」もまた「森を食べている」はずだ。ただ、その「食べ方」は、菌従属栄養植物や焼畑民に比べると、より間接的かつ収奪的である。

2016年7月20日 (水)

都市の鳥

息子の案内で、神社の巨木に営巣するアオバズクをこっそりと見に行った。日が暮れた住宅地の中の電線にとまっている。飛び立って、街灯に集まる虫を繰り返し採食していた。なかなか感動的な風景だった。

Aobazuku0_2

観察は、怪しまれず、また人に知られないようにする必要がある。バードウォッチャーが集まることで、近隣住民が迷惑を感じ、営巣地が除去されてきた事実があるから。
アオバズクは都市部では減少傾向にあるようだが、一方で一度は都市部から姿を消した生き物の一部が、1980年代以降に再び進出を始めている。
鳥で云えば、コゲラをはじめ、カワセミやハヤブサも都会で珍しくない。都市部に定着し、繁殖も行うような鳥は「都市鳥」と呼ばれる。以下は、最小のタカ、ツミ。昨年の7月、都市公園の中で。
Tsumi

例えば、「都市鳥研究会」参照。
http://urbanbirds.eco.coocan.jp/index.html

2016年7月 1日 (金)

キヌガサタケ

■ 九州の豪雨が心配な一方、関東はこれまで雨が少ない。きのこ(子実体)の発生も悪い。それでも6月下旬に入って少々の降雨もあり、きのこが目につくようになってきた。

■ 近所の竹林でキヌガサタケ子実体の残骸を見たのは、昨年(2015年)の7月。一年越しのリベンジで、通勤前後に観察を続けて、幼菌を発見。ようやくきれいな子実体を見ることができた。

Kinugasa0_2

未成熟な子実体。径6cm弱。外皮膜を破って成長するまで、この状態から4日かかった。

Kinugasa1
朝8時過ぎ。上とは別個体、スッポンタケ?

Kinugasa2    
夕方17時には、上の個体が開いていた。まだきれい。


動画

こちらも。

2016年4月 8日 (金)

春の妖精

■ 春のキノコというば、これ。アミガサタケである。

160406amigasa

■ こちらが、大本命のトガリアミガサタケ。この個体は、高さ8cmほど。この日に出会った、ただのアミガサタケは最大で5cmほど(全体に小ぶりだった)なので、比べるとかなり大きく、存在感がある。

160406togari

(いずれも調布市にて。)

■ 4月の初め某日。この日は、アミガサタケを数本採り、ハケ下の湧水地でクレソンを少々摘んで帰った。春だ。

160406sakura_2

2016年3月27日 (日)

多摩川・マルタの瀬付き

■ 多摩川の某堰では、3月の中旬から、産卵のために遡上したマルタの姿を見るようになった。「瀬付き」である。一週間ほど前は、水しぶきを上げるマルタの群れとそれを狙うカワウで、堰の下が大変賑やかだった。

1603271_2

■ まだ今日も、婚姻色できれいな三色のマルタが泳ぐ姿を見ることができた。

■ 川の中の石を持ち上げると、たくさんの卵が付着している。

1603272_2

■ 流れが強く、藻が付着していない石にはカゲロウの幼生。エルモンヒラタカゲロウか?。

1603273

■ 行動経済成長期、「死の川」と言われた多摩川に、マルタが再遡上するようになったのは、この十年くらいのことらしい。

■ 川崎河川漁協が、平成元年(1989年)から茨城県の大涸沼(おおひぬま)漁協からマルタを買い入れて、放流を始めた。放流は、コイヘルペスの影響で13年(2001年)で中断されたが、その後、遡上産卵が定着したそうだ。

 さらに言うと、戦前のマルタと平成の放流マルタでは、性格が違うらしい。以前は、マルタが多摩区まで遡上するのは希だったが、現在では立川まで遡上するそうだ。下流の漁協(太田や多摩川)の漁労活動の有無も関係するとのこと。

(『多摩川森林組合 マルタ釣り的考察』、2013年、未知谷)

1603270_2

2016年3月21日 (月)

中央区 タイムドーム明石

2月某日、中央区立郷土天文館と区役所へ。

■ 港区では4種発行されている防災地図だが、中央区では一種しかない(外水と内水をまとめた浸水想定区域図)。

○ 隣の区との違いの理由について、「防災課」の窓口女性に聞いてみるが、答えられない。お役所的な返答にこちらが少し語気を強めると、後ろの席の男性に聞きに行くが、「そうなっているから」という回答(にならない回答)は変わらない。それが何回か繰り返されるが、男性は直接自分で対応しようとしない。ばかばかしくなって、問うのをやめたから、彼らは「正しく」対応したというべきなのだろう。女性は非常勤で、安い給料で働いている、と推察した。

1602091

■ 【中央区立郷土天文館】
タイムドーム明石は、郷土資料展示室・プラネタリウム・区民ギャラリーなど入った施設。隅田川のすぐ近くに建つ。川向こうは、佃島・月島だ。
郷土資料の常設展示室は1フロア。中央区の土層断面(江戸期に盛り土を繰り返したため、自然堆積層0.5mが、明治期は3.5mになった)。日本橋と魚河岸の賑わいを示す資料類(「沽券絵図」=『中央区沿革図集』に掲載、「魚河岸納屋板舟絵図面」など)。佃島関連資料(佃島漁協は昭和37年に漁業権を放棄したが、現在でも徳川家へ白魚を贈っている!)、石川島造船所(1979年に石川播磨重工業が移転、その跡は現在「大川端リバーシティ21」として開発されている)、関東大震災、東京港の整備。日本橋生まれの長谷川時雨関連。

1603152

◆ 大川端リバーシティ21
住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産が、石川島播磨重工業跡地を再開発。高層ビルが並ぶ。上写真は、隅田川対岸江東区側から。ビル群の手前はスーパー堤防のようだ。

■ タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)URL:http://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/

2016年3月20日 (日)

芝丸山古墳、港区立郷土資料室、ハザードマップ

2月某日、港区。増上寺、芝公園、区役所、郷土資料室。

■ 芝・増上寺の南、芝公園内にある丸山古墳は、都内で一番大きな前方後円墳とのこと。

1602081

■ 【港区のハザードマップ】
「津波」、「浸水(内水氾濫=古川と支流中心、および外水氾濫=荒川)」、「揺れやすさ」、「液状化」、の四種類が発行されている。

○ 「津波ハザードマップ」は、想定地震「元禄型関東地震(M8.2)」で、(A)防潮施設・健全、液状化・なし(=東京都の浸水想定と同様)、及び(B)防潮施設・すべて損傷、液状化・あり(=最悪の想定で、港区はこれを前提に津波避難ビルの指定などの防災対策を実施)、の2パターンの地図。
パターン(B)の場合、埋立地以外では、古川沿いの芝公園付近で、最大浸水深1.5m以上。

○ 「揺れやすさマップ」は、想定地震が「東京湾北部地震(M7.3)」(フィリピン海プレートが震源の首都直下型地震のモデル)、港区の地形の詳しい解説と図(沖積世基底図)あり。

○ 防災に大変力を入れている印象を受けた。

■ 【港区郷土資料室】
三田図書館の4階なので、月曜日でも開室している。

○ トピック展示。「港区遺跡展~最近の発掘調査から~」、「安政地震」、「勝海舟」、「品川台場」、区内に多い貝塚、「さわれる展示室」、「芝丸山古墳」など。

○ 遠近(おちこち)道印作「改撰江戸大絵図(複製)」元禄16(1703)年が、明暦大火(1657年)以後の江戸の開発を示すものとして大きく展示されている。

○ 遠近道印は、『寛文五枚図』などの精度の高い地図の制作者として有名。「早稲田大学古典籍データベース」で、彼の複数の地図がオンライン公開されている。

◇ 早稲田大学古典籍データベース
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html
「早稲田大学図書館が所蔵する古典籍について、その書誌情報と関連研究資料、さらには全文の画像を広く一般に公開しようとするものです。」

2016年3月18日 (金)

江東区 ハザードマップと深川江戸資料館

○ 3月某日、江東区へ。

◆ 江東区役所にて

○  「 まちの記憶と未来展 」 、区役所内の展示、分かりやすくまとまったきれいなパンフレットあり。

○ 洪水ハザードマップは、内水と外水の二種。 「 大雨浸水ハザードマップ 隅田川・江東区内部河川流域 」 と 「 洪水ハザードマップ 荒川 」 。

○ 荒川氾濫時は、避難地区がすべて新しい埋立地 (豊洲、有明、東雲、辰巳、新木場、若洲、そして隣の港区・品川区とも接する青海) で、深川方面から南へ向かって避難方向を示す大きな矢印が描かれる。浸水の目安としては、江東区の北東部が3~5m、北西部が0.5~3m、とされている。

◆ 深川江戸資料館
やはり場所柄か、外国人が多い。

○ 1Fは導入展示室、深川ゆかりの人物紹介など。

○ BFが常設展示室で、深川の町並みの再現。江戸博に似ている。企画展として、同フロアの一角のスペースが 「 長屋~住まいと暮らし~(2015/11/10-2016/11/13) 」 。

1603151

○ 2Fは小劇場。

■ 深川江戸資料館/公益財団法人江東区文化コミュニティ財団URL:http://www.kcf.or.jp/fukagawa/

«「隅田川の水門」と「すみだ郷土文化資料館の空襲体験画」